動物看護士おもちせんせいの ペットと健康でハッピーなくらし

動物看護士おもちせんせいです。動物病院をはじめ、様々な動物業界で仕事をしていました。その経験を活かし、職場でのエピソードやペットや動物との正しい暮らし方を紹介していきます。

3.11時 うちのペットたちは・・・

震災で被災したとき、私のもとにいたには、インコ4羽・にわとり、金魚です。

被災したペット

 

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金魚はお祭り金魚です。釣ったものを飼いきれないとのことで、8匹押し付けられ、2匹が生き残りました。20センチくらいの大きさで、とても大きくなりました。

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インコたち。このなかの白い子は、震災前になくなってしまいました。手前の緑色が母親のピーちゃん、右奥の黄色が父親のキーよ。真ん中の白い子が第一子のミーよ。中央右奥がクラウンで、左がさかたです。これがうちのインコの家族です。インコってすごい。なにがすごいって、色々な色が産まれること!繁殖も楽しかったです。

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こちらは、職場でひよこちゃんを保護した結果、ブロイラー(食用ニワトリ)だったコッコです。私が飼った生き物の中で一番難しく、一番印象的な子でした。毎日のようにケンカしてました・・・。

被災時の状況

震災時、私は仕事で家を留守にしていました。職場から帰宅までは車で20分ほどなのですが、地盤沈下や瓦礫などで道がふさがれ、1時間くらいかかってしまいました。その間、帰れるか怖かったし、ペットたちが心配で仕方なかったのを覚えています。

 

帰宅すると、庭にこんもりした毛布がありました。私は早くみんなのもとに行きたい気持ちを抑え、祖母の家に行っていました。祖母は木造の古い家に一人で住んでいました。崩壊したかもしれないと思いましたが、家も本人も無事で、休みだった姉がかけつけていました。

 

そこから祖母と姉を連れて帰宅しました。毛布は、姉が祖母の家に行く際に、インコと金魚の水槽を家から避難させ、寒さやほかの動物たちに襲われないよう保護してくれたものでした。にわとりのコッコは外の小屋で飼っていました。その小屋も無事。コッコも無事でした。インコたちはケージが床に落ちるまえに、家具に引っかかり地面に打ち付けられる事態は避けることができたそうです。

 

金魚たちはというと、本当にたまたま地震が起きたとき、姉がエサをやっていたそうです。姉が地震で揺れながら水槽を抑えていてくれたそうなんです。実はそのとき、忙しくて水槽の水が結構汚れていました。姉は水を被りながら耐えてくれたそう。本当に感謝しています。

 

コッコの小屋は溶接で手作りしたものだったのですが、なんともなかったです。す、すごい!!ということで、うちはみんな無事でした。

 

震災のあと、5日かんくらい停電状態でした。コッコは本当にどうじなかったのですが、金魚はエアーがでないため、本当に危険でした。インコたちも精神的ショックが大きかったらしく、みんな一つも鳴かなくなりました。放鳥していなくて良かったです。

震災後

その後、インコたちは元気を取り戻し、金魚も掃除を怠らず酸素の出る石などを携帯するようになりました。うちはオール電化なので、停電になると水道もなにもかもとまってしまいます。便利なオール電化ですが、このときばかりは失敗したと思いました。

 

水は、仕方がないのでミネラルウォーターを与えました。数日間で済んだので良かったです。電気が戻ったら、すぐに水槽を洗いました。当時井戸水だったので、カルキ抜きをしなくて済んだのが本当に良かった。

 

インコやコッコたちのご飯は常備してあったので大丈夫なのですが、寒さと水ですね。インコも寒いのは苦手なので。若鳥もいなかったし、もう3月というのもあってなんとかなりましたけど。あとは、祖母の家に石油ストーブがあったので、それで暖をとれました。

 

震災に合って 

 

うちは避難所に行かなくても済んだので本当にラッキーでした。避難所生活になったら、インコたちは連れていけなかったかもしれません。そして、いまだに茨城と福島の野菜を嫌う人がいます。放射能の問題が原因です。本当に悲しいことです。なんにも問題がないので、本当に差別しないでほしいと心から思います。